肩まで伸びた金砂のような髪が、風に揺れる。
鈴の音のような透き通った声が、優しく響く。
そして、その深い碧の瞳に、吸い込まれそうになる。
………一年前の冬、俺は目の前にいる少女とよく似た女の子に出逢った。
…あの夜、月明かりの差し込む薄暗い土蔵でなされた突然の出逢いは、同時に時が止まったように静かな誓いの儀式だった。
……けど、今はあの時とは違う。
やっと顔を出した太陽は広場全体を暖かく照らし、子供連れの家族や中睦まじい老夫婦、それに観光客のようなアベックが清々しい午後の散歩を楽しんでいた。
…そして、白いドレスを着た少女は俺の目の前で無邪気にはしゃいでいた。
そこに、銀の甲冑を着込んでいた彼女の厳かな雰囲気は無い。
だから、この少女が彼女と重なって見えるのは、俺が未だに女々しい感傷に浸っているからに他ならないはずだ。
………けど、その無邪気な微笑みを見る度に、俺の心臓は締め付けられるのだった。
二章:U/出逢い
………リビングで放置プレイをされて目覚めた朝、俺は心まで冷え切った体を毛布で包み、急いで自室に戻った。
さっき、リビングの柱時計を見たら六時過ぎを指していた。
…今からもう一度眠ってしまうと、きっと今日一日を無駄にしてしまう。
眠気を覚まし、冷えた体を温める意味でも風呂に入った方が良いだろう。
一階の廊下の突き当たりにある風呂場に向かい、部屋を出た。
『イギリス人は風呂が嫌い』
…一成に留学の話をした時に、そんな事を言われていた。
三日に一度シャワーを浴びて、髪を洗うのは週に一度だけだとも言っていたので、俺は料理と一緒でロンドンの風呂に関しても不安を抱いていた。
…けど、どうやら近頃は食事バランスと共に入浴に対する意識も高まりつつあるらしい。
しかも、俺は初めロンドンではスパにでも行かなければ湯船には入れない…と、思っていたのだが、昨日屋敷の風呂場を確認してびっくり、シャワールームとは別に大きめのヒノキ風呂が新しく作られていたのだ。
何でも、イリヤが衛宮邸[ウチ]にあったヒノキ風呂がかなり気に入ったらしく、この屋敷を買い取った後に新しく作らせたのだという。
ここ一箇所だけ和風っていうのも違和感があるけど…風呂好きの俺としては、イリヤの思いつきに感謝したいと思った。
……風呂から上がった後、皆も起き出して今は揃って朝食を食べていた。
日本では俺、桜、セラさんの交代制で作っていた朝食だけど、俺や桜の作る和食は食材が無いため作れない。
…ただ、街を探せば和食用の食材を売っている店もあるだろうし、セラさんに任せきりにするのも良くないだろう、いずれ俺も調理場に復帰するつもりだ。
「士郎、私たちはセラとリーゼリットも連れて午前中から出かけるけど、あなたは?」
皆が食後の紅茶を飲み始めると、遠坂が話を振ってきた。
「俺も一緒に出るよ。遠坂たちはどこに行こうと思っているんだ?」
「私たちは先にシティの銀行に行って、その後は東部で買い物をするつもりよ」
「昨日調べてみたんですけど、東部には色んなお店が沢山あって、何でも揃っちゃうらしいです」
遠坂の言葉を引き継ぐかたちで、桜がうきうきした表情で説明してくれる。
「だから、わたしたちの欲しい物だけじゃなくて、セラとリズの着る物とかも買うつもりなの」
イリヤも桜と同じ様に声を弾ませている。
…女の子が買い物好きだというのは、どうやらこの三人にも当てはまるようだ。
服や靴、何を買うかを話している彼女たちを見ているのは微笑ましい。
…けど、昨日同行を辞退したことに、俺はこっそり胸を撫で下ろすのだった。
……その後、少しして俺たちは出発した。
市街での移動は車よりもチューブ(ロンドン地下鉄の愛称)を使った方が便利なため、俺たちは最寄りの駅まで車で行き、そこから地下鉄に乗り換えた。
チューブという愛称は、管のような円形のトンネルに由来するらしい。
また、車体がトンネルの形状に合わせて丸みを帯びているのも特徴的だった。
……平日の朝は通勤通学の人で混むようだけど、今日は休日という事もあって空いていた。
…ただ、セラさんたちの格好はさすがに目立つらしい。
常に周りからの視線を感じていた。
「…まぁ、仕方ないんじゃない?ここまで『メイドです』って格好をしている人なんて他にいないでしょう」
俺の表情から考えを読み取ったのか、遠坂たちが話しかけてきた。
「だから、お二人にも外行きの服を買おうって言って連れ出したんです」
「…確かに、冬木の商店街とはスケールが違うからな」
三人で話していると、セラさんが少し拗ねるように反論してきた。
「皆さま、私たちは服装や周りの目など気にしません」
それに対して、俺たちは苦笑いしながら顔を見合わせていたが、イリヤが諭すように言葉をかけた。
「セラ、わたしたちは慣れているから気にはならないけど、これから頻繁に市街に出るようになるんだし、余り目立ち過ぎない方が勝手が良いのよ」
「…お、お譲様のためだというのでしたら」
セラさんは渋々了解した。
「それに…せっかくのロンドンですし、お二人も少しくらいお洒落をしないともったいないです」
「そうね、だから今日は色々と試しましょう」
仲良し姉妹は、二人にどんな服を着せるかで盛り上がっている。
…なんか、この後の彼女たちの受難が簡単に想像できてしまった。
そんな中、苦い顔をしているセラさんと違い、リーゼリットさんはいつもと変わらずイリヤと話をしていたけど。
……そうこうするうちに、大英博物館の最寄駅であるラッセル・スクウェア駅に着いた。
俺はここで降りて色々散策するつもりだ。
他の皆はシティに向かうので、ここから単独行動という事になる。
…俺は皆に別れを告げ、一人ホームに降り立った。
……赤いタイルの壁が印象的な駅を出て十分ほど歩き、俺は今、大英博物館の正面玄関に来ていた。
どんよりとした曇り空の下、パルテノン神殿を思わせるギリシア様式のファサード(正面玄関)が、威圧的に来訪者を迎えている。
そう感じるのは、ただ単に天気のせいかもしれないけど…
この博物館の地下が、世界最高峰の魔術師たちの巣窟、“時計塔”であることも関係しているのかもしれない。
…どことなく、魔道に関係するもの独特の排他的な雰囲気も漂っていた。
俺は観光客に紛れて博物館の中に入った。
…ファサードを抜けると白い空間が現れた。
床には大理石が敷かれ、屋根を見上げると一面ガラス張りで外の光が取り入れられている。
このグレートコートと呼ばれる空間には、図書室やカフェ・レストラン、売店などもあるようで、見学に疲れた観光客が集まり、語らっている姿が見られる。
展示物の全てを見て回るには、一日ではとても間に合わないような博物館なので、こういった広い休息の場も必要なのだろう。
博物館には世界中のあらゆる美術品や書籍、考古学的な遺物・標本・硬貨、果ては民族資料なども展示されているらしい。
おそらく、一般公開されている物は氷山の一角で、もっと神秘的な物は地下深くに保管されているのかもしれないな。
…俺は館内の案内図を見たり適当に展示品を見て回ると、元々ここに長居する気は無かったのでグレートコートの売店で飲み物を買って博物館を出た。
そして、ファサードを出た時、俺は不思議な光景を目にした。
「…ねぇ、イアリ。エム様はどこに行かれたの?」
「あれ?さっきまでこの辺りにいられたのに…」
「ちょっと、まさか見失ったなんて言うんじゃ…」
「あ…そ、その…はい…」
「何やってるのよ、バカ!!あたしは辺りを探してくるから、あんたはパパに知らせて来て!」
「わ、わかったよ!…でもシャル、お父さんは…どこにいるの?」
「…も〜!!パパったら、まだ中国の展示エリアにいるのね!いいわ、一緒にパパの所へ行くわよ!」
「うんっ!」
…そう言うと、一目見て執事とメイドだと分かる格好をした、イリヤよりも年下だろう栗色の髪の少年少女は、俺の横を通って館内の方へ駆けて行った。
「…へぇ、あんな格好をしている人が、うち以外にもいるんだな」
困っているようなので声をかけようとも思ったけど、あっという間に走って行ってしまったので、かけられなかった。
…周りを見れば、他の観光客も何事かとささやいている。
少し遠坂たちが心配になったけど、彼女たちなら問題を起こしたりしないだろう。
俺はそのまま、博物館を後にした。
「うっ!?」
「どうしたんですか、姉さん?」
皆で買い物をしていると、姉さんが嫌な物を見つけたような声を上げた。
…目線を辿ると、前の方から青いドレスを着て今時珍しい縦巻きロールの黄金色の髪を揺らしながら、見るからに貴族と解る綺麗な女の人が歩いて来る。
また、一歩後ろにはダークグレーの髪の執事の青年、それと茶色い長い髪が印象的なメイドと思われる綺麗な女性も控えていた。
「…あら?…ごきげんよう、ミス・トオサカ。お久しぶりですね」
すぐ近くまでやってくると、青いドレスの女の人が姉さんに声をかけた。
…どうやら二人は知り合いのようだ。
姉さんは学園にいた頃のように瞬時に猫の皮を被ると、上品に切り返した。
「…えぇ、こちらこそご無沙汰しておりましたわ。ルヴィアさんもお元気そうで何よりですわ」
傍から見れば、上流階級のお嬢様同士が優雅に会話しているように見える…筈なのだけど…。
二人が言葉を交わす度にひしひしと伝わってくるおぞましい程の殺気が、私たちの周り半径2mに異界を造り出し、人が通る事を許していなかった。
「そう言えば…今日はお連れの方がいらっしゃるのね?」
ドレスの女性が私たちの方に目を向けて尋ねてきた。
「…はい、私の妹の桜、そして友人のイリヤです」
…こっちに来てから、私は元の『遠坂』を名乗る事になっている。
これは日本を出る時に姉さんと話し合って決めた事だった。
けど…こう堂々と紹介されると、少し照れてしまうな。
「妹の桜です。宜しくお願いします」
「初めまして、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンです。後ろの二人は従者のセラとリーゼリットと申します、以後お見知り置きを」
イリヤさんの紹介に続いて、セラさんとリーゼリットさんも自己紹介をした。
…イリヤさんの挨拶を聞いた時に、彼女の表情が一瞬強張ったように見えたけど、直ぐに挨拶を返してきた。
「ご丁寧にありがとうございます。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした、私はルヴィアゼリッタ・エーデルフォルト。この二人は従者のアスクとヴェルザンディです。こちらこそ、宜しくお願い致します」
そして、お付きの二人も自己紹介をする。
「執事のアスクです」
「ヴェルザンディと申します、宜しくお願い致しますね。…けど、イリヤ様たちとは以前お会いしましたね、ご無沙汰しておりました、皆さま」
そう言うと、メイドの女性はイリヤさんたちに親しみのこもった笑みを向ける。
「お久しぶりです、ヴェルザンディさん。その節はお世話になりました」
セラさんが普段あまり見せないような顔で挨拶をする。
「セラさん、お元気そうで何よりですわ。お庭の方は上手くいきました?」
「はい、おかげさまで」
「ヴェル、ひさしぶり」
「リズさん、貴女もお元気そうで」
「うん、元気だけがとりえだもの」
「まぁ、リズさんらしいですわ」
メイド三人は和気あいあいと話し合っている。
…すると、辺りを見回していたイリヤさんがヴェルさんに話しかけた。
「ねぇ、ヴェル。今日はエムたちは一緒じゃないの?」
「はい。エムブラ様たちは、夫が大英博物館の方に連れて行っているんです」
「そうなんだ…残念」
「イリヤ様、そう気を落とさないでくださいな。エムブラ様と子供たちも、イリヤ様とまた会えるのを楽しみにしていますから。今度また一緒に出かけましょう?」
「うん!…あっ、じゃあ電話番号を聞いても良い?」
「はい。じゃあ、私用の回線の方を…」
そんなやり取りをしている四人を、皆揃って不思議そうに眺めていると、ルヴィアさんが私たちの疑問を代弁してくれた。
「…ヴェル、レディ・イリヤスフィールとはいつ知り合ったの?」
「イリヤ様たちとは、去年の夏に寮を見に行った時に逢ったんです…あっ!」
ピクッ
ヴェルさんの言葉を聞いて、姉さんとルヴィアさんの眉毛が敏感に反応した。
「寮?…あー、あの時…」
「あ、アーちゃん…その先は…」
ヴェルさんがアスクさんに言い難そうに声をかける。
その言葉を聞き、ルヴィアさんたちの方を見たアスクさんは、二人から発せられる負のオーラを感じ取り、急いで口をつぐんだ。
それなのに…
「そう、リンたちが中で喧嘩をしている間、外で待っていた時に逢ったのよ」
イリヤさんが続きの部分をあっさり言ってしまった。
ピキリ
…途端に、ルヴィアさんと姉さんの間に険悪なムードが漂い始める。
「その節は…」
「えぇ、その節は…」
…いけない、姉さんの被っていた猫の皮が剥がれかけている。
それに、どうやらルヴィアさんも姉さんと同じキャラだったようだ…、どうしてかは分からないけど、ドレスの腕の部分を強めに握っている。
…どうしよう、イリヤさんの一言で話が蒸し返されてしまったみたいだ。
このままだと…
「る、ルヴィア様!雲行きが怪しいですし、そろそろお昼です、どこかに入りましょう!」
アスクさんが急いで二人の間に割って入った。
「姉さん!私たちも、そろそろお昼にしましょう!」
…私も彼に習い、必死に姉さんの説得を試みるのだった。
……その後、奇跡的に何事も無くルヴィアさんたちとは別れる事ができ、私たちは近くにあったフレンチレストランで昼食をとっていた。
「…じゃあ、あの時イリヤさんが言っていた友達っていうのは…」
「ええ。エム…本当はエムブラっていうんだけど…それと、ヴェルの子供のシャルとイアリの姉弟のことよ」
「ふん…まさか、それがルヴィアと関わりがあったなんて…世の中は狭いわね」
店に入った後も姉さんは不機嫌なままだった。
上機嫌に二人の従者と話をしているイリヤさんと比べると、その差は歴然だ。
(…何だか、いろいろ大変になりそうな気がします)
私は一抹の不安を感じつつ、窓の外の、今にも泣き出しそうな空を見上げた。
ポタ……ポタ…ポタ、サーーーーー………
「…くそ、とうとう降り出したか」
今朝見た天気予報では降水確率が高かったので、一応折りたたみ傘は持って来ていた。
俺は傘を差すと近くにあった飲食店の店先まで行き、雨宿りした。
……大英博物館を出て地下鉄に乗り、俺は今、ビックベンのすぐ近くまでやって来ている。
ビックベンとは隣にあるウェストミンスター宮殿の時計台の愛称で、日本でもよく知られた、とんがり屋根の大きな時計台だ。
…なぜここまでわざわざ足を運んだかと言うと、正午に鳴る学校のチャイムのモデルになったという鐘の響きを聞いてみたかったからだ。
…今は11時半。
まだ少し時間があるので、俺はここで簡単に昼食を済ましてしまう事にして、店の中に入った。
……ミートパイとホットコーヒーを少し急いで食べ終え、時計台の真下までやって来た。
雨は相変わらず降っていたけど、空は明るくなってきているし、もう傘を差さなくてもよい程度の小雨だった。
『ロンドンは一日の中に四季がある』とは良く言ったものだと思う。
…一日で天気がころころ変わるのでは洗濯が大変だな…なんて、少し主婦のような事を考えている自分が可笑しかった。
…11時59分。
そろそろ鐘が鳴る頃だ。
ガチリ
大きな文字盤の上で、短針と長針が重なった。
…そして、聞きなれたリズムで鳴り出す鐘の音。
ただ、その響きは学校で耳にしてきたような弾む音ではなく、鈍い重厚感のある響きだった。
鐘は鳴り続け、今は時刻を知らせるための単調なリズムで鳴っている。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
…その時、俺の視界の隅に金糸が舞うのが見えた。
俺は大時計に向けていた目線を、時計台の根元まで下げた。
…そこには白いドレスを着た金髪の少女が、大時計を見上げながら立っていた。
……ドクン……
「セイ…バー…」
彼女の名前を口にし、思わず頭を振る。
(何を言っているんだ、俺は…セイバーが居るわけが…)
…けど、鐘が鳴り終わるまで、俺はその少女から目が放せなかった。
……一時は冷静さを欠いてしまったけど、落ち着いてよく見てみると確かに容姿は彼女にそっくりだが、年はイリヤと同じくらいの幼い少女だった。
少女は鐘が鳴り終わってしまうと目線を地面に移し、寂しそうに俯いていた。
…その様子に、俺は少女に歩み寄り、しゃがんで目線を同じ位置にして声をかけた。
「…君、どうかしたの?」
少女は突然声をかけられ初めは驚いていたけど、最近ロンドンに引っ越して来た、家の人たちと街に遊びに来たのだけど、見て回っているうちに逸れてしまったことを話してくれた。
「そうなんだ…家の連絡先とかは分かる?」
「…すいません、引っ越してきたばかりだから…わかりません」
少女は申し訳なさそうに言うと、また俯いてしまった。
…それにしても、着ている物や話し方から分かるけど、ずいぶん良いところのお嬢様のようだ。
それでいて高飛車なわけではないし…まだ小さいのに立派な淑女だった。
…よく見ると、少女は雨に濡れてしまっている。
俺はバックからタオルを取り出し、濡れている髪を拭いてあげた。
「あ、あの…どうもありがとうございます…」
気恥ずかしいのか、少女は頬を赤らめて目線をそらしてしまった。
「服はあまり濡れてなさそうだけど、風邪をひいちゃうから拭いておいた方が良いよ」
髪を拭き終え、俺は少女にタオルを渡した。
…そういえば名前を聞いていなかったか。
いつまでも少女だと失礼かもしれないし、俺もきちんと挨拶しておくべきだろう。
「言うのが遅くなったけど、俺は衛宮士郎。君と同じで、昨日ロンドンに引っ越してきたばかりなんだ。…君の名前は?」
「あっ!」
少女はタオルをたたみ、手を前で揃えると上品に自己紹介をした。
「挨拶が遅れてしまいました。わたしは、エムブラ・ドライグ・エーデルフォルトです。家の皆からはエムと呼ばれています」
「そうか…じゃあエムちゃんでいいかな?」
「はい。えっと、エミヤ…シロウさん…」
「…あ〜、俺の事は士郎で構わないよ」
「では、シロウさんで」
「了解」
自己紹介を終え、日差しも出てきたので俺たちはウェストミンスター宮殿の横にある広場に来た。
…その頃にはエムちゃんとも打ち解け、彼女も下を向いて寂しそうな顔をしたりはしなかった。
そして、エムちゃんの家の人というのがとっても鼻の利く人たちだそうで、もう少ししたら迎えに来てくれるだろうから、それまでこの広場で時間をつぶすことになった。
「シロウさんはどうしてロンドンヘ?」
「…そうだな、簡単に言えば勉強をしに…かな」
まさか魔術の学校に来たとも言えないだろう。
俺はお茶を濁すような返答をした。
「そうなんですか…それでは、お姉さまと同じですね。わたしはお姉さまの留学に付いて来たんですよ」
「お姉さんがいるんだ」
「はい、ちょうどシロウさんと同じぐらいの。今日も一緒に出かけたのですけど、お姉さまたちは街の東側の方にお買い物に行かれました」
「そうなんだ。俺は兄弟はいないんだけど、一緒に暮らしている人たちが何人かいて、彼女たちも東部の方に買い物に行くって言ってたな。…俺は荷物持ちにされるのが嫌だったから、誘いを辞退したんだけど」
「その気持ちわかります。お姉さまやヴェルは、いつもわたしのことを着せかえ人形みたいに扱うんです。もう、一緒に買い物に行くのが嫌になりました」
そう言ってむくれている顔は、年相応の子供のそれで、実に可愛らしかった。
「服が濡れてて寒かったりする?もしそうなら何か温かい飲み物でも買って来るけど」
「いえ、大丈夫です。それに太陽も出ていますし…ほら、こうしていれば…」
そう言って彼女は雨で濡れている芝生の上を、まるでスケートをするように駆け回る。
「…寒くなんかありませんよ」
そう言って微笑んだ彼女に、俺は数瞬目を奪われていた。
「エ〜ム〜さ〜まー!!!」
三、四十分話していると、広場にいる人が皆振り返るような大声を発しながら、午前中に大英博物館で見かけた、栗毛のメイドの女の子が走って来た。
…また、その後ろから一緒にいた栗毛の執事の少年と、背が高くがっしりした東洋人の執事の男性もやってきた。
どうやらあの時に彼らが探していたのは、エムちゃんだったようだ。
「…シャル、そんなに大きな声を出したらはしたないです」
「そんなことを気にしている場合じゃありません!!もう、心配したんですからー!」
自分よりも年下の、しかも従者に詰め寄られてエムちゃんは困った顔をしていた。
けど、やっぱり安心したようで、笑みがこぼれてしまっている。
「よかったぁ…ご無事で〜」
「よかったぁ…じゃないわよ!もとはと言えばあんたの不注意でしょうが!!」
「ううぅ…ごめんなさぁい」
執事の少年はしゅんとなり、べそをかいてしまっている。
「まぁ、シャル、その辺にしてあげなさい。イアリも反省してるんだから」
「…パ〜パ〜、パパだって不注意なんですからね。エム様の放浪癖を知っていながら、ずっと展示品ばかり見ていたんだから。…本当に似たもの親子」
「うっ…」
娘のジト目と的を捕らえた言葉に、息子のフォローに回っていた父親もタジタジだった。
「わたしは放浪癖なんてないです。…ただちょっと美味しそうな香りがしたから…」
放って置けばエンドレスで続きそうな会話をしている一行を、苦笑いしながら見ていると、父親の執事の人が声をかけてきた。
「失礼いたします。わたくし、エーデルフォルト家でエムブラ様専属の執事をしています毘斗と申します。この度の我が主人へのご好意、誠に感謝いたします。宜しければお名前をお教えいただけないでしょうか?」
「初めまして、衛宮士郎です。そんな改まって言われるような事は何もしてませんよ。それに…俺も、昔の知り合いと再会できたような感じがして嬉しかったですから」
「はぁ、昔の…」
「あ〜、こっちの話です。気にしないで下さい」
ヒトウと名乗った執事の男性は、自分の子供にも自己紹介とお礼を述べさせると、もう一度お礼を言ってエムちゃんに帰宅を促した。
エムちゃんを先頭にして一行は俺に背を向ける。
…すると、エムちゃんがもう一度こちらに振り向き、今日何度も俺の目を奪っていった笑顔で言った。
「…今日はありがとうございました。わたしも、何だかとても嬉しかったです。またお会いましょう、シロウ…さん」
…そして、彼女たちの背中は並木の向こうに見えなくなっていった。
「…良い土産話ができたな」
俺は彼女たちが広場から出て行くまで見送り、反対のゲートに向かって歩みを進めた。
……余談だが、家に帰るとなぜか遠坂が不機嫌で俺はやつあたりに遭い、色々弄られる羽目になったのだった。
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